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名古屋高等裁判所 昭和36年(ネ)281号 判決

第一審原告 増田幸二

右法定代理人親権者 増田幸夫

増田美沙子

右訴訟代理人弁護士 宗本甲治

寺沢弘

第一審被告 佐橋茂雄

右訴訟代理人弁護士 宮崎巌雄

山本朔夫

主文

一、第一審原告の控訴にもとづき原判決を左のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し、金二五万円及びこれに対する昭和三五年九月五日より完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。

第一審原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を第一審原告の、その余を第一審被告の各負担とする。

この判決は、第一審原告において金七万円の担保を供するときは、その勝訴の部分につき仮に執行することができる。

二、第一審被告の控訴を棄却する。

同控訴費用は第一審被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、第一審被告(以下単に被告と称する)が肩書地において鶏肉商を営み、通称「ゴロー」と呼ぶ秋田犬を飼育していたこと、昭和三五年二月二四日午後三時過頃、右ゴローが当時被告方隣家に居住していた第一審原告(以上単に原告と称する)に飛びつき、これに咬傷を与えたことは当事者間に争なく、右負傷の程度は、「顔面に鼻根部より右頬部に斜めに長さ七糎、深さ一糎の裂創、右頬下方に斜横に長さ五糎、深さ一糎の裂創、左上方頬部に長さ五、五糎、巾二糎の挫傷、右胸部腋窩部に長さ二糎、深さ一糎の裂創、腋窩線において第七、第八肋骨部に横に長さ四糎、巾一糎、深さ肋膜腔に達する裂創等」であり、同年三月一三日まで犬山市富士見町小林病院に入院治療を受けたことは、成立に争ない甲第一号証の記載によつて明らかである。

二、原審証人三戸勘弥の証言、原審における原告法定代理人増田美沙子および被告本人の各供述並に検証の結果を総合して考えると、前記事故の起きた際の模様として、原告は、右日時頃近所の子供達と一緒に原告方東側の空地(草原)で遊戯をしていたところ、突如、右空地北側の被告方裏庭に鎖で繋がれていたゴローが、鎖を外して板塀の壊れた箇所から飛び出して来て原告に躍りかかつてこれに咬みついたものであることが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。被告は、ゴローが右のように原告に咬みついたのは、原告がゴローをからかつて挑発し、これを憤激せしめたためであると主張するけれども、被告挙示の各証拠によるも、右のような事実を認むべき確証はない(前記証人三戸勘弥の訴言の一部に、原告が当時「竿かけ」でゴローをつつき、これを挑発したのでないかと想像させる如き供述があり、又、原審の検証の結果によれば、事故現場附近に「物干かけ」の放置されていたことを認め得ないでないが、右の事実だけから、原告の挑発行為を肯認することはできず、却つて、前記原告法定代理人増田美沙子の供述によれば、右のような事実のなかつたことを窺知するに十分である)。

三、そこで、次に、被告が右ゴローの飼育に関し動物の占有者として相当の保管責任をつくしていたか否かを考察する。

原審証人家田幸一、同三戸勘弥、同小島重之の各証言、および原審並に当審における被告本人尋問の結果によれば、本件のゴローは、被告が生後半年位で他から譲受けて飼育を始めたもので、事故当時三年半の成犬となり、体高約二尺、体重六、七貫位の大型の犬であつたこと、しかし、その性質は概して温順であり、平素は近所の子供が近づいても、これを挑発しない限り吠えつくことがなかつたことが認められる。又、原審証人大藪一次の証言および原審並に当審における被告本人尋問の結果によれば、被告は、いつもゴローを被告方裏庭のいちじくの根元に(雨天の日は被告方便所の前の柱に)太い鉄の鎖で繋留していたことが認められ、少くとも昼間のうちは放し飼いにするようなことなく、なお犬の運動の際には、必ず被告自身で綱をもつて連れ歩いたもので、本件事故直前においても、右いちじくの根元に繋いであつたことが窺い得られる(もつとも、夜間は必ずしも繋留の方法をとらず、近所を徘徊して家に帰らぬことのあつたことは、原審証人小島重之の証言によつて明らかである)。

ところで、一般に、日本犬特に秋田犬は主人に対しては極めて忠実であるが、その性質の勇猛果敢であることは顕著な事実に属し、本件のゴローに関しても、事故の三、四ヶ月前近所の犬にひどく咬みついたことがあり、又、近所に住んでいた訴外田中きん子の指を噛んで咬傷を被らせたことは、原審における原告法定代理人増田美沙子および被告本人の各供述によつて認められ、これらの事実から考えても、平素おとなしく見える犬も、時と場合によつては本来の勇猛性を発揮して人に危害を加える恐れのあることを十分察知し得るといわねばならない。

被告は、本件ゴローの保管方法について万全の処置を講じていたと主張するけれども、原審並に当審における被告本人尋問の結果および本件弁論の全趣旨によれば、被告がゴローを繋留していた鉄の鎖は、鎖そのものは太く頑丈であるが、その首輪に連結せしめる部分の構造は至つて簡単不完全なもので、犬の劇しい運動動作による鎖の撚れ加減によつては容易に外れる可能性のあることが看取でき、(現に本件事故の際にも、この部分から鎖が外れたのである)、これをもつて安全確実な繋留具であるとなす被告の主張はとうてい首肯できない。更に、原審における検証の結果によれば、ゴローの繋留場所である被告方裏庭と、近所の子供達の遊び場所であつた前記空地とは、以前には高さ五、六尺の板塀で仕切られ通行できぬようになつていたが、伊勢湾台風により右板塀が倒壊して以後、修復されないまま本件事故当時まで放置されていたこと、したがつて、子供達はいつでも被告方の裏庭に出入して犬に近づき、これをからかうことも可能な状態であつたことが認められる、しかも、ゴローに対し挑発的行為をする者があれば、平素はおとなしいゴローも、これに咬みつく恐れのあつたことは前示説明のとおりである。このような状況のもとにおいて被告は単に犬を鎖で繋いでいたことをもつて、充分な保管方法であると主張するのであるが、そもそも、子供の遊び場所の近くに本来勇猛性を持ち人に危害を加える恐れの絶無でない大型犬を飼う者の立場としては、万一、子供等が犬に近づきからかうことがあつたとしても、これに咬みつき危害を被らしめないよう、或いは犬に口輪をはめて繋留するとか、完全な犬小屋を作つてこれに収容するとか、又は遊び場と犬の繋留場所との間に柵等を設けて犬が遊び場に出向くことを阻止するとか、なんらかの手段方法を講じて危険の発生を未然に防止すべき動物保管上の注意義務があつたのである。しかるに、被告がとつた上述のゴローの保管方法は、猛犬の飼育者として適切さを欠き、これをもつて、相当の注意義務を尽したものとは称し難く、被告の抗弁はとうてい採用し得ないところである。

なお、原告においてゴローを挑発する行為をなしたものと認め難いこと前叙のとおりであるが、仮りに原告に右のような事実があつたとしても、原告は当時未だ四才に満たぬ幼児(成立に争なき甲第一号証によれば、原告は昭和三一年六月七日生である)であつたのであるから、このような幼児が猛犬に近づきこれを挑発して咬みつかれたこと自体、このような状況のもとに猛犬を飼育したことの不注意が推知され、被告の責任は解除されぬというべきである。なお被告は、上述のように台風で倒壊した板塀を修理しなかつたことは原告の親権者の過失であつたと主張する如くであるが、右板塀が原告の親権者の所有であることの認められぬ以上、同人にこれを修理する義務あるものとは考えられず、この点の被告の抗弁も認容しがたい。

四、原告が本件事故により被つた傷害は冒頭掲記のとおりであり、当時四歳に満たぬ幼児であつた原告が、右事故により受けた精神的打撃、および二〇日間の入院加療中に受けた肉体的苦痛の甚大であつたことは察するに余りある。なお、成立に争のない甲第二号証、原告法定代理人増田美沙子の供述および本件弁論の全趣旨を総合すれば、原告は現在も尚入浴時に負傷の部分の苦痛を訴えること、右傷跡殊に顔面部の傷跡は、将来長く消失することなく残るであろうこと、原告の性格は受傷以来、従前に比し短気粗暴になつた傾向のあること等が認められる。しかして、右顔面部の傷痕については、原告の成長につれてその容貌に関し劣等感を抱くに至るであろうことは、想像に難くなく、その精神的苦痛は、男子である原告には女子における程大でないとしても、尚相当の痛心事であるべきことは云うをまたぬところである。

よつて、被告は原告に対し、右述のように原告が既に被つた苦痛及び将来被るべき苦痛を慰藉するため、相応の金額を支給すべき義務あること明らかであるが、右金額は、上来認定の各事実、および被告が原告の入院中の諸費用全額(金一万八〇〇〇円)を支払つたこと、被告は本件事故後直ちに加害犬を保健所に引渡して処分をなしたこと(右の各事実は原審並に当審における被告本人の供述によつて認め得る)、その他諸般の事情を彼此考慮して判断するときは、金二五万円をもつて相当と認める。

してみれば、原告より被告に対する本訴請求は、本件事故による慰藉料として金二五万円、および右金員に対する本件不法行為の翌日たる昭和三五年二月二五日以降完済まで年五分の割合で遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、これを認容すべきである。その余は失当として排斥を免れない。

よつて、原判決は、以上と一部見解を異にする点があるから、原告の控訴にもとづいてこれを主文第一項のように変更し、なお、被告の控訴は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担および仮執行の宣言につき民事訴訟法第九六条第九五条第八九条第九二条第一九六条を各適用して、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 石谷三郎 裁判官 山口正夫 吉田彰)

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